[旅行記]佐賀 2日目 黒髪神社で御朱印をいただき、冨田神社にも寄りました

宝当神社を目指して唐津市へ移動している最中のこと

「黒髪神社」の横を通りました

ん!!

黒髪?

もしや、髪の毛ふさふさ?

などと邪な考えをしてしまう、中年サラリーマンの私でした。

入り口には立派な鳥居が立っていました

階段を進むと、社が見えてきました

お参りをして、御朱印をいただきにいきました。
社務所(住宅のほう)へ行き、お願いをしましたが、
残念ながら宮司さんが不在のため、紙の御朱印をいただきました。

 

右上に絵が書いてあり、紙が他とは違う紙質

 

調べてみると黒髪神社はとても深い歴史があり、市内で最も古い神社。
かつては黒髪三所大権現という名称で呼ばれていました。
参道に構える鳥居は肥前鳥居、市指定の重要文化財とのこと。
毎年秋頃に行われる流鏑馬神事はいつも多くの見物客で賑わう人気のイベントであり、
市重要無形民俗文化財。

御由緒 HPより

鎮西霊験社 黒髪神社
一、創建
上宮 崇神天皇十六年(約二千年前)
下宮 霊亀元年(西暦七一五年)
一、御祭神
伊奘冉尊・速玉男命・事解男命
<下宮相殿>菅原道真公命・今山鎮守神
一、由緒
黒髪神社は、崇神天皇十六年に朝廷の勅願社として黒髪山を卜して鎮座されたと伝へられる、肥前最古の由緒を持つお社です。
頂上の天童岩には、原初の信仰形態である磐座信仰の姿が伝へられ、また太陽穀霊崇拝にちなむ天童信仰がみられるところからも、歴史的古さが窺われます。
平安末期の史料、「武雄神社文書(国重要文化財)」には、当社は「朝廷ノ御祈祷所」で「杵島郡第一ノ霊社」とみえます。鎌倉期以降、天台修験と結びついた熊野信仰が伝播してくると、神仏習合の様相が強まり、やがて「黒髪大権現」の称号で呼ばれるやうになります。末社・掛社は杵島郡・松浦郡中心に五十社に及んでゐました。
戦国期には、諸武将が誓願の起請文として用ひた「牛王宝印」守札を発行してをり、上宮・中宮・下宮の三所からなる規模とともに、社格の高さをあらはしてゐます。江戸期の祭礼日は「士民群集シテ市ヲナス」賑ひであつたと古記にあります。
秋のお供日に奉納される流鏑馬は、永万元年、大蛇退治の願成就として当社下宮に於て奉納したのが始まりで、現在まで八百四十余年続く伝統神事となつてゐます。

・・・

お恥ずかしい。髪の毛とは関係がありませんでした。

しかし、髪の毛に関する神社は存在するのですね。ねっ!!

・ 御髪神社(京都)

日本で唯一の「髪の毛」の神社

・ 関神社(東京)

髪の祖神と言われる蝉丸公を祀った神社

・ 湯島 柳の井(心城院)(東京)

美髪と厄除けのご利益があるとされている

・ 石清尾八幡宮 髪授神祠(香川)

髪の毛の神様とされている髪授神祠

これはまた行きたいところが増えてしましまたので、しっかりメモしておきます。

 

 

 

 

ここもまた看板を見て訪れました
「冨田神社」

なんと、ここも宝くじスポットでした!!

宮司さんは管理人さんは不在のようですが、綺麗でした。

上がってお参りするスタイル
木の札にこれでもかというほど、宝くじ祈願が書いてありました。
これはもう、祈るは「宝くじが当たりますように」ですね

壁やノートに当選の報告とかあり、羨ましいと思ってしまいました。

御縁起

冨田神社は伊万里市南波多町府招、新屋敷にあります。

この地は冨田才治翁の幼時、乳母タケによって養育された由緒ある地でございます。

唐津藩平原(ひらばる)村(唐津市浜玉町)大庄屋、冨田才治翁が

明和九年(一七七二年)虹ノ松原一揆の首謀者として断罪された時、

新屋敷村民の悲しみは特に深く冨田神社を創建しました

 

冨田田茶舗にて宝くじを購入後、冨田神社で宝くじ祈願をするようです。

冨田田茶舗で宝くじ買ってないけど、宝くじ祈願だけはしてきました!!

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